中国はトマスカップで過去10度の優勝を達成しています。
トマスカップの歴史は1949年に始まりますが、中国が初参戦したのはそれから33年後、1982年のイギリス大会のことでした。
中国は、それまで4連覇中の前回大会王者のインドネシアを破り、トマスカップ初参加にして初優勝を達成します。1982年5月21日のことでした。
中国がトマスカップを初めて制した日
その結果は紛れもなく有名で、メッセージはハッキリとしていた。中国はここにとどまるべきだと。
中国が1982年にトマスカップに初参戦した時、中国は素晴らしい決勝戦を争い、有名な銀色のトロフィーを国へ持ち帰った。
1949年大会以降で初めてのヨーロッパ開催となったイギリス大会での初優勝は、中国の実力の証明を更に高めることになった。
ハダースフィールド、グロスター、プレストン、バーミンガムの4つの大会で運営された試合は、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールに移った。2日目の夜にはエリザベス女王とフィリップ皇太子が観戦に訪れていた。
インドネシアとの一騎打ちの5日前、モルテン・フロストを欠いていたデンマークとの準決勝を8-1の大差で下し、インドネシアに対して不吉な警告を送りつけていた。
決勝戦は5/20と21の二日間に渡って行われ、ハン・ジャン(Han Jian)は出場した2つの試合ともに勝利を飾り、中国の英雄となった。
第2シングルスに出場したハンはリウス・ポンゴを破りスコアを同点に戻すと、長期戦となった伝説のリム・スイキンを第4シングルスで撃破し、1-3の劣勢を3-3まで引き戻した。
ハンの活躍は予想通り中国に勢いをもたらし、続く2試合を勝利した中国は初タイトルを確定させた。チェン・チャンジェはポンゴをストレートで下し中国が初めてリードを奪うと、スン・ジャンとヤオ・シミンのペアがカルトノとルディ・ヘリャントのペアを17-14、3-15、15-1で下した。
最終試合は、形式的なものだが、クリスチャン・ハンディナタ/リムがルアン・ジン/リン・ジャンリを破った。
世界バドミントン史に残るこの試合は、元国際バドミントン連盟(現BWF)会長サー・クレイグ・リーディは「偉大な決勝戦の一つ」として記憶しており、選手のコート上での振る舞いとスポーツマンシップを「素晴らしい」と賞賛している。
「トマスカップ・トロフィーは、インドネシアの偉大なチームからの祝福と観客からの暖かな拍手の中、中国チームに手渡された。試合第2日目の夜に4試合に勝利してトマスカップ優勝を成し遂げたチームを他に見たことはなかったし、その夜の試合よりも良かったバドミントンの試合を見たことがある人はほとんどいなかっただろう」と壮絶な戦いをリーディは振り返った。
On This Day: China Lift Thomas Cup at First Time of Asking
トマスカップ優勝を決めた瞬間
スン・ジャンとヤオ・シミンのペアがカルトノとルディ・ヘリャントの試合動画を見つけたので紹介します。
画質が悪くてわかりにくいですが、肩が黒くなっているユニフォームがインドネシアです。
さすが中国強いですね…
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