バドミントン界のジンクス?オーストラリアOPとオリンピック

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雑記
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Australian Open Winners Who Became Olympic Champions

もしCovid-19の世界的流行がなければ、6月7日は2020オーストラリアOPの決勝戦が開催されるはずだった。

この大会は、若い選手、特にオセアニアからの選手にとって、世界大会での腕試しをする場として、近年その地位を確立してきた。現在はHSBCワールドツアーのSuper300として開催されているオーストラリアOPは、世紀の変わり目頃からより多くのエリート選手たちをひきつけている。

何人かの選手にとって、この大会で優勝することはその後の良運の前触れだったかもしれない。オーストラリアOPで優勝した5人の選手が、オリンピック金メダリストに輝いている。

スシ・スサンティ(インドネシア)

オーストラリアOP優勝:1990年
オリンピック金メダル:1992

1990年代初頭に女子シングルス界を席巻していたスサンティは、1990年の大会には女子ダブルスと混合ダブルスを含む3つの種目に出場している。

当時19歳の彼女は、前年度王者でありホーム選手のアナ・ラオを11-1、11-4で打ち破り、女子シングルスのタイトルを獲得した。

2年後、スサンティは女子シングルスの最初のオリンピック金メダリストに輝いた。

チェン・ロン(中国)

オーストラリアOP優勝:2015
オリンピック金メダル:2016

チェン・ロンが2015年のオーストラリアOPで表彰台の頂点に立った時、彼はすでに最上級のバドミントン選手であった。オーストラリアOP以前に出場した2つの大会でで敗れていたが、この大会の決勝戦でビクター・アクセルセンに21-12、14-21、21-18で勝利し、自信を取り戻すことができた。

1年後、チェン・ロンはオリンピック金メダリストに輝いた。準決勝で破った相手は、アクセルセンだった。

カロリナ・マリーン(スペイン)

オーストラリアOP優勝:2015
オリンピック金メダル:2016

チェン・ロンと同じように、マリーンはブラジルで栄光を掴み取り、ヨーロッパ初のオリンピック女子シングルスチャンピオンとして歴史に名を残した。2014年大会の決勝でサイナ・ネイワール(インド)に敗れていたマリーンは、2015年大会では決勝でワン・シシャンを22-20、21-18で破り優勝を果たしている。そして11日後、自身初となる世界ランキング1位を記録している。

イ・ヒョジョン(韓国)

オーストラリアOP優勝:1999
オリンピック金メダル:2008

オーストラリアOPで優勝した後にオリンピック金メダリストに輝いた5人の選手の中で、イ・ヒョジョンがオリンピック制覇まで最も長い時間を待たなければならなかった。ラ・ギョンミンとペアを組み18歳で出場した1999年のオーストラリアOPで、女子ダブルスで優勝を果たした。

2008年の北京オリンピックでは、イ・ヨンデと混合ダブルスのコンビを結成していたが、彼女が年上だった。ノーシードだったにもかかわらず、イ・ヒョジョンとイ・ヨンデのペアは決勝戦まで勝ち上がり、トップシードだったリリヤナ・ナシトールとノバ・ウィディアントのペアを破り金メダルを獲得した。

キム・ドンムン

オーストラリアOP優勝:1999
オリンピック金メダル:1996、2004

1999年のオーストラリアOPで男子ダブルスのチャンピオンに輝いた時、キム・ドンムンはすでにオリンピックで金メダルを獲得していた。3年前のアトランタオリンピックの混合ダブルスでの金メダルだ。

しかし、2004年のアテネオリンピックでキム・ドンムンはもう一つの栄誉を手にすることになる。ハ・タエウォンとペアを組み、男子ダブルスで金メダルを獲得したのだ。

今のところキム・ドンムンは、オリンピックで2つの金メダルを獲得した唯一のバドミントン選手である。

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