リー・チョンウェイ、12の栄光

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雑記
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Lee’s dazzling dozen

PETALING JAYA: 12個目のマレーシア・オープンでのタイトルを獲得した様子を家族と一緒に見ていたら、リー・チョンウェイにとっての良い思い出の数々がどっと蘇ってきた。

2年前の7月、ブキット・ジャリルにあるアシアタ・アリーナで開催されたスリルある決勝戦で、マレーシアのベテランは好調の桃田賢斗(日本)を21-17、23-21で破り、彼の17年以上に渡るキャリアの最後の優勝を飾った。

ホームでのタイトルを獲得した後、やがて彼がバドミントンから引退する原因となってしまう鼻のがんえあると診断された。

彼の妻であるウォン・ミュー・チューと2里の息子、7歳のキングストンと5歳のテレンスとと一緒に、71分の試合を最初から最後まで座って一緒に見たのは初めてだった、とチョンウェイは述べた。

今年のマレーシア・オープンの開催予定日だった3/30から4/5にかけて、その試合のリプレイはテレビで放送された。今年の大会は延期されたのだ。

「普通、選手としては、試合のレビューや分析しか見ることはない。今回は、家族と一緒に試合そのものを見れて嬉しいよ。僕のバドミントンキャリアを良い形で終えることが出来たと言えるね」とチョンウェイ。

「14回のホームでの決勝に出て、12個目のタイトルだったけど最高のマレーシア・オープンのタイトルだったと思う」

以前は、2006年のクチンで開催されたマレーシアオープンが彼の特別なホームでの勝利だったと考えていた。ファイナルゲームで13-20から中国のリンダンに大逆転勝ちをしたのだ。

「2018年の決勝戦は違った。賢斗は絶好調で精度も良かったし安定していたけど、僕はそのプレッシャーに耐えることが出来たんだ」と当時35歳だったチョンウェイ。

「第2ゲームで、僕は19-20で負けていた。足が弱いということを分かっていたし、もがいていたんだけど覚悟を決めたんだ。ファンが僕を導いてくれた。2つのゲームポイントを取り返し、最後のショットにはチャレンジをした。それで勝ったんだ。

スタジアムは歓喜に沸いたよ。最後の大会が特別なものになって嬉しいんだ。僕は今、ファンのサポート、試合がなくなって寂しく感じているよ。ホームで12個のタイトルを取るのは難しい記録だね… 大切にするよ。

キングストンとテレンスは試合を僕と一緒にもう一度見ていたときのほうが興奮していたよ。見終わった後、僕といっしょにバドミントンをしたがったんだ。僕達は今、一緒に沢山の時間を家で過ごしているよ」とチョンウェイ。

「ちょうど最近、キングストンがミュー・チューの名前をYouTubeで検索したら2007年の中国オープンの試合が出てきたんだ。

今度はね、ミュー・チューがどうやってマレーシア女子として初めて中国オープン優勝したのかを一緒に見たんだ」

ミュー・チューは、当時世界ランク1位で2度の世界女王だった中国の謝杏芳(Xie Xingfang、シエ・シンファン)を決勝戦で21-16、8-21、21-17で下した。

優勝までの道中、翌年世界女王になる朱琳(Zhu Lin、ジュ・リン)、2004年のアテネ五輪金メダルの張寧(Zhang Ning、ツァン・ニン)、中国生まれのフランス選手のピ・ホンヤン(Pi Hongyan)を含む4人の中国選手を倒した。

すでにバドミントン競技からは離れているため、チョンウェイは自分の役割を東京オリンピック選手団のシェフ・ド・ミッションになるだろうと推測していたが、オリンピックは来年の7/23から8/8に延期された。

「オリンピックが延期されたことで、じっくり僕の役割について学ぶ時間が出来た。今は、全ての選手にポジティブにいるようアドバイスしたところだよ」

引用元:Lee’s dazzling dozen

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